簡単に気楽に行こう運営者情報です。
簡単に気楽に行こう 運営者 しもけん

ハンドルネーム | しもけん @k_ez_com |
年齢 | 61歳 |
出身地 | 大阪 [date format=”Y年m月”]現在も在住 |
血液型 | AB型 |
婚歴 | 未婚 (一度もなし) [date format=”Y年m月”]現在 |
気が付けばとっくの昔に アラ還 になってました 気が付けばとっくの昔に 老後 を考える年になってました 気が付けばとっくの昔に 老後を考える年 どころか・・・ 気が付けばとっくの昔に 老後 になってるんじゃねえ?
などと、微塵も気が付かない振りをして生きている独身 ( [date format=”Y年m月d日 “]現在 ) 彼女もいない( [date format=”Y年m月d日 “]現在 )、子供もいないましてや孫もいない、お気楽初老過ぎの老後ばく進中一人暮らしボッチ男子です。
[date format=”Y年m月”]現在、某外食業界最大手企業グループの店舗清掃のアルバイトと雀の涙ほどのネット収入で生計を立てており、家計はかなり厳しく火の車状態で節約生活を余儀なくされております。
なぜ「簡単に気楽に行こう」を始めたのか
下の経歴をご覧いただけばわかる様にちょっとした自己満足的な いいかっこ でまだ契約の機会があった好待遇の職を辞め、『じじい一人が食うだけの仕事なんぞなんぼでもあるわい!』と自惚れていた矢先に新型コロナウィルス感染拡大、非常事態宣言発令、求人激減、特になんのスキルもない高齢者は壊滅的状態。
『こ、こ、これはまずい・・・』と急に焦りだす。職は見つからず、収入は途絶え、節約生活を余儀なくされるわけです。それまでは自炊などせず、牛丼チェーンなどでの外食や弁当惣菜を買ってきたりして割と好き勝手にしていて、光熱費やガソリン代なんかも気にすることはなかった。
一転した生活(少しオーバーか)は食べたいものを自由に食べれず、やりたいことを我慢する日が続き、苦痛でしかなかった。これまでもそんなに贅沢な生活をしていたわけではないが、ここまで精神的また金銭的に窮屈な生活をしたことがありませんでした。
前職を辞めて3か月ほど経ってようやくアルバイトではあるが現在の仕事がみつかり一息ついた。とはいえ、当初の収入は前職の3分の1程度。節約生活はまだまだ続くのであった。
おかげ様で徐々に勤務時間を増やしていただき、少し余裕ができたのか、窮屈な節約生活に慣れてきたのか、『節約生活も楽しいやん』と感じはじめた。「こっちの方が5円安い」「これで電気代5%安くできるか」などと考えてるのが楽しくなってきたのであります。
楽しくなってくると誰かに楽しさを伝えたい、共有したいと思うのでございます。実は2020年の大晦日からブログを書き始めたのですが、前職を辞めてからの3か月間の心身のダメージが思ったより大きく(半年で20kg近く痩せた、やつれた)また仕事も順調に忙しくなったので中断しておりました。
2021年11月、気力も体力も戻ってきましたので『簡単に気楽に行こう』を再開しました。
「簡単に気楽に行こう」で何を伝えたいのか
長々とわけわからない状態になってきましたが、何を「簡単に気楽に行こう」でつたえたいのか?
ブログ運営者 しもけん が、2020年4月ころより始まったコロナ禍での不安だらけの窮屈な生活(継続中)で、生活上の大小の問題や悩みなどをどう切り抜けてきたのかを、同じ境遇の方々と共有し、少しでも役立ててもえる情報を伝えたい。
などと、大それた偉そうなことを宣っておりますが、伝えたいのは「あそこのスーパーで白菜が安かったわよ」的な話や、「簡単な手続きで給付が受けれるよ」「年金保険料とか健康保険料とか何とかならないん?」とか、「こうすれば小銭をゲットできた」や「手軽に安く作れる料理」「電気代安くする方法」「ガソリン代何とかならんか」などの身近な生活情報です。
新社会人として初めて就職したのがファミレスですし、一番節約してるのが食費ですので食に関する情報が多いと思います。食べることが最優先ですので行き過ぎた食費削減はよくないのですが。
簡単に気楽に生きたい
人生の残りも確実に半分以下になって、残りの人生どうしたいのかどう生きたいのか。一言でいうならば、一人で簡単に気楽に生きたい 、元来の面倒くさがりなので、面倒で複雑なことは嫌い。人と接すると気を使って疲れるのです。人と出会った時に別れる時のことを考えてしまい怖くなり、心底心を許せないのです。
本音では、一人は寂しく誰かと繋がっていたいと思っているからこの様なブログを書いているのかもしれませんね。誰かに自分を知って欲しいからブログを書いているのかもしれません。
しもけん 経歴
社会人デビューから現在までの経歴
- 1987ファミリーレストラン最大手会社に入社
当時一番入社しやすい一部上場企業と言われた外食業界最大手企業に入社 近畿事業部大阪の店舗に配属され研修スタート
- 1988新規出店店舗に配属
店舗社員のステータスとされていた新店メンバーに選ばれる 主にキッチンを任される スタッフ教育やオープン前の器具搬入、定位置決めなどなどでオープン前からオープン後まで約3か月ほど休みなし
- 1990京都の店舗に異動
副店長候補として京都の店舗に異動 月次売上計画組、日々のワークスケジュール作成、商品管理計画など店長業務の一部を任される キャリアアップの為の店長の計らいだった この店舗で結婚を決めた2人目の女性に出会うが、2年後に破局
- 1992ファミレス最大手会社を退職
退職する半年前ごろより動悸、めまい、吐き気、頭痛などが頻発 不規則な生活や過度のストレスによる自立神経失調症の疑いがあるとされる
そんな中、店舗運営上の問題で店長と口論となり職場放棄してしまう 自ら責任を取るため退職願を提出し引き止めもあったが受理されて退職
- 1993近畿ローカルのファミレスチェーンに入社
前会社退職から10か月ほど経過、 自立神経失調症の症状は治まったので近畿ローカルのファミレスチェーンの和食事業部に入社 休日日数が多く店舗営業時間が短いのが決め手だった
和食事業部となっていて表向きはシーフードレストランと呼んでいたが実態は大きめの居酒屋
- 1993店長代行に昇進
入社後研修を経て半年で店長代行へ昇進 大阪の真ん中にあるビジネス街の店舗だったのでかなりの売り上げのある店舗だった 特に宴会シーズンは断トツの売り上げだった
- 1994近畿ローカルのファミレスチェーン退職
93年末には最高売り上げを記録したが、この頃また体調に異変 酒を売る商売だから仕方ないが、酔っ払いによるトラブルが日常茶飯事でほどほど嫌気がさしていた
外食産業で客に嫌気がさすのは自分には向いていないと思い退職 以降外食産業への就職はしない
- 1994~2001暗黒時代 自由業
定職を持たずに国民の娯楽場に入り浸ってファミレス店長以上の収入を得る時代が結構続いた
またこのころからネットビジネスに興味が出始める アフィリエイトなどを知るのも2002年ごろだった気がする
- 2002~2013派遣社員として製造業へ
国民の娯楽場でも稼げなくなって破産寸前になる 約8年ぶりに社会復帰 中小エアコン部品メーカーで派遣社員として働く
2011年頃名ばかりの契約社員になり時給が逆に下がる 社会保険などは派遣先で加入する
配属部署は空調もなく夏は猛暑、冬は酷寒の就業環境だったので約10年以上働いた会社だったが年齢的にまた体力的に限界だったので退職した
- 2014~2017別の派遣会社から自転車部品会社へ
派遣会社を移って世界的自転車パーツメーカーの協力工場で派遣社員として働く 夜勤だったのだが生産減で夜勤がなくなった為に派遣終了
- 2017~2020世界的自転車パーツメーカーへ派遣
世界的自転車パーツメーカーに派遣 時給が大幅にアップする 待遇的には申し分なくて職場も冷暖房完備で快適だった
派遣社員の中のリーダー的位置になっていて次回契約更新もあったのだが、職場の長がまだいるメンバーの名前を次のシフト表から消すなどパワハラ紛いのことをするのが許せなくて自ら退職
- 2020~現在外食業界最大手企業グループの店舗清掃のアルバイト
好待遇の派遣先を自己都合で退職した途端に新型コロナウィルスの感染拡大で緊急事態宣言発令 「派遣の仕事くらいすぐ見つかるだろう」と高を括っていたが求人が激減
そんな中に見つけたのが新社会人として初めて就職した外食業界最大手企業の店舗清掃のアルバイト求人 まさかこんな形で復帰するとは思わなかった フルタイムではないシフト制のアルバイトなので給料面では前職の半分程度になっている
[date format=”Y年m月d日 “]現在も就業中 懐かしい思い出を思い起こしながら清掃しております
誕生から学生時代
- 1963しもけん誕生
大阪で生まれる 赤ちゃんの時は泣かない子だったらしい いつも仰向けで寝ていたらしくそのせいで頭が絶壁になったのかも
- 1970小学校入学
普通の市立小学校に入学 極度の内向性格で口下手 先生に通知表の連絡欄に「まだ赤ちゃん言葉がぬけませんね」と書かれる
小学校高学年になり周りの子と比べて自分の運動神経がいいことに気づき自信を持てた 以後校内でスポーツで目立つ存在となって小学校卒業まで過ごす
- 1976中学校入学
普通の市立中学に入学 陸上部とバレーボール部で悩んだ末バレー部に入部 2年生からレギュラーとなり3年生でキャプテンを務める 市内では敵なし大阪府ではベスト4
- 1979高校入学
大阪の公立高校普通科に入学 父がやらせたかった野球部に入部(本人はやりたくなかった) 練習を親に内緒でよくサボったがレギュラーに 3年生最後の府大会でベスト16 両親の前でホームラン1本打てたのが唯一の恩返し
- 1982大学入学
某三流私立大学経済学部に入学 「野球を続けないなら学費は自分でだせ」という父親との約束で学費は自分で工面 ほとんど講義には出ないでバイトに明け暮れる毎日
3回生時に彼女ができて同棲生活開始 初めて結婚すると決めた女性 結局卒業間際に破局お別れ 彼女は田舎に帰りました
- 1987大学卒業
5年かけて大学卒業 破局のショックで冬の寒い中外を彷徨い歩く日々を続ける 就職内定先に就職する1週間前に実家に帰って社会人に
しもけん 性格自己分析
無口で大人しい、口下手であまり感情を表にださない。人からすれば取っ付き難いようです。一緒にいても面白くないみたいです。口下手なのでこうやって文章にするとついつい文章力もないのに長文で思いの丈をぶつけてしまうのです。
しもけん 趣味・資格・興味ごとなど
基本飽き性なので長年続けている趣味などはない。資格・特技もこれと言ってない。